勝手にキリバン企画 ~のわーるの軌跡その3~
2010年9月9日 のわーるの軌跡 コメント (5)いったいどれくらい放置していたのやら・・・。
ってかこれ誰得の企画だよ!?www
その1⇒http://ky1105.diarynote.jp/201003130155381429/
その2⇒http://ky1105.diarynote.jp/201003210247532196/
今回は中学生?編
自分のポケカ史の中で一番重要な時期になりうるところです。
=====================================
・俺のポケカ道① ~強者の巣窟~
中学2年の時だったかな?
その時まで行ってたジムチャレが土曜日しかなくて、部活やらなにやらでいけない日が続いてしまう。
他のお店にも行きたいな~とちょうど思っていたので、ネットで調べてみると・・・・。
毎週ジムチャレを開いているお店を発見!
しかも! 当時ADV環境に入ったというのにレギュは無制限!
前にもこんなお店があったな~と思いつつ、ポケカに慣れてきたすえんくんと出撃。
地下鉄の駅から20分ほど歩いて会場のお店に到着。
お店には優しそうな店員さんがいて、ポケカの大会に出たいというと店内の一角に置かれた対戦スペースへ案内される。
そこではすでにみんなでフリー対戦してたところ。結構人数も多くて盛り上がってたんだけど、このお店で一番印象的だったのは・・・・
大人の人がカードゲームやってること!!www
当時の俺には衝撃的! なんで子供の遊びを大の大人が!?
(今はこんなこと一切思ってませんw)
そんなことを思いつつも大会スタート。
その店舗で始めての対戦は女の子だったような。。
相手のバトル場はグラードンM(マグマ)。技は結構強かったけどPB「パワーセーバー」でベンチに3体のM(マグマ)ポケモンがいないと攻撃できないという縛りがあったので、俺達兄弟の間では弱いの分類だったカード。
ふふふ。さてはこいつあんま強くないなw
しかし、これが間違いだと気付いたのは対戦中盤。
マグマポケモンを4体揃えてすぐに殴ってきたが、倒しても倒してもすぐに次のグラードンMが来る。倒してもサポーター「マツブサ」(?)で復活するし、中途半端にダメージを与えるとハギ老人で手札に戻る。
当時、ハギ老人なんて使えないサポーターwwwって認識だったので、この対戦で使われた時はこいつも衝撃的だった。
結果は言うまでもなく負け。。
そのあとフリーを2戦・・・だけして帰った。時間的にはもう2戦出来たのだが。。
つ、強すぎる! ここの人たち!!
誰と対戦しても、こっちが有利な状況になってもまとわりつく重苦しい空気。
いつ負けるか・・・いや、俺には勝てる可能性があるのか、もしかしたら0%じゃないか?という今までにない重圧。
対戦をするのが怖いという感覚を始めて味わった。
それでも俺はこの人たちに勝ちたい!と思った。負けたくない!と思った。
そしてそこに通い始めたのだった。。
=====================================
・俺のポケカ道② ~知らない世界~
その店舗には高校1年の春まで通い続けた。
勝った回数よりも圧倒的に負けた回数の方が多かったが、そんなのは構わない。勝つか負けるか分からない、あのギリギリの感覚が楽しくなってきたのだ。
まー、何回行っても自分より強い人に話しかけることが怖くて、ものすごいアウェイ感はあったけどw
こういう強い人たちのところに行くと、発見できる新しいことの数々。
当時の俺には衝撃的だったことをいくつか紹介。
1.親子プレイヤー
いや~信じられんかった。だってあれだぜ?
うちじゃ~「カードぉ?そんなのに金掛けて!」「カードなんてする暇あるなら勉強しなさい!」ってのが当たり前だったからさ。
親と子供が一緒の空間で遊ぶなんてことが、通い始めた時は不思議で不思議で。。
んでびっくりなのは一番遅くまで残ってフリー対戦してるのが、親子プレイヤーの方々なんだよ。
「ほら。もう行くヨ!」って言われてそそくさと帰る俺にとっては羨ましいのなんのって。
やっぱ親子の方が多かったからかな~?
そんときちょうど始めたDMの大会とは雰囲気が全然違かったのは当時の俺でも感じることができた。
あんときの俺はこの店舗だけが特殊って思ってたけど、全然そんなことなかったんだよな~。
今思えばこれがポケモンカードのあるべき姿。ポケモンというとっつきやすい存在から親子のコミュニケーションを深める。
今までお会いした親子プレイヤーさんはどれも温かい家族だったと思いますわ。
2.公式大会入賞
この店舗に通い始めて最初のバトルロード。
結果を見てみると、どのリーグもどこかで見たことのあるようなメンツばかり。
話を聞いてみるとその店舗の常連で上位を独占することはよくあることらしい。
・・・お、おれはこんな強い人たちとやってたのか。。
そ、そういえば、お店の方にサインカードがいくつかあったり・・・。
・・・・お、おそろしいorz
3.店員さんが・・・
あの店員さん店長だったんだ。・・・結構後から知りましたw
んでさらに話を聞くと俺が小6の時にいったお店にもいたらしい。これには驚いた!
4.ついでに
忘れられない1戦をピックアップ。
2,3回目に来た時に、トーナメントが終わったらすぐに帰ろうとした俺に店長さんが「フリーしてったら?」と誘いの言葉を。
初めて来た時以来、この店舗には強者しかいないと感じでフリーはあんまりしたくなかった訳で。。
店長さんについていくと、優しそうなお父さんプレイヤーを紹介される。んで、そのまま1戦。
一戦目はこちらの勝利。ちょうどその時ハーフのトーナメントでこの店舗に来て以来、初めて優勝したのだ。このデッキは自信作。負けるわけがない。
二戦目は相手の方がデッキチェンジして対戦。
あっちの場にはヨーギラスδ(炎)が2体。こっちはというとバトル場に1体だけのスタートとなり、引いても種が出てこない。
しかし、相手のお父さんはなぜかベンチのヨーギラスにエネを付けていく。
バンギラスにするつもりか? でもバンギδの最大火力は70。こっちのポケモンは一撃じゃ倒されないぜ!
なんとか進化して相手のバトル場のヨーギラスを倒す。次に出てきたのは炎エネが3つ付いたヨーギラスδ。 さー、進化させるのか? しかし俺の予想に反して相手が使ったカードは・・・・そっくりテレポーター!!
ヨーギラスδをトラッシュして持ってきたのは・・・・ギャラドス☆!!!!
そして技はフィニッシュバーン!!! とりあえず良く分からんダメージで俺のポケモンが気絶!
・・・・そ、そっくりテレポーターだと!?
当時そっくりテレポーターの使い方が全く分からなかった俺にとって衝撃的だった。
よわっち~ヨーギラスがいきなりギャラドス☆になるなんて!
それ以来そのパパさんプレイヤーにはお世話になった。
他の人が強すぎて話せなかったが、唯一その人には話ができたし、ポケカに関していろいろアドバイスをもらった。
箱買いするアドバイスをもらったのもこの人からである。
2007のスプリングを最後に、その人は仕事の関係で関西の方に行ってしまったが・・・。
まー、すえんくんのおかげで行けたWCSファイナルで3年ぶりに再開することができたし。。
あの時はホントお世話になりました。
===============================
こんな感じでこの店舗にはいろいろお世話になった。
トーナメントを意識して戦う今の俺があるのはこの店舗に通った数年間があったからこそである。
話しをかけずらかった人たちとは、今では普通に話せるし、このDNも見てくれているらしい。
たまに、すえんくんとジムチャレにおいで~!とも言われる。
俺が高校1年の時に宮城県内の幸町に移転したあとも店舗の凄腕プレイヤー・・・・後に県内強豪となる「チームサニラン」の方々からポケカのことをいろいろ学んだ。
そこの店長さん・・・・てんちょーも未だにお世話になっている。小6から考えるともう8年の付き合いだ。
この店舗のことを語らなければ親子プレイヤーではない俺のポケカ道は語れないといっても過言ではない。。
この数年間で俺は強くなった。それを実感する瞬間はすぐに来ることとなる。
いざ、戦いの舞台へ・・・・。
ってかこれ誰得の企画だよ!?www
その1⇒http://ky1105.diarynote.jp/201003130155381429/
その2⇒http://ky1105.diarynote.jp/201003210247532196/
今回は中学生?編
自分のポケカ史の中で一番重要な時期になりうるところです。
=====================================
・俺のポケカ道① ~強者の巣窟~
中学2年の時だったかな?
その時まで行ってたジムチャレが土曜日しかなくて、部活やらなにやらでいけない日が続いてしまう。
他のお店にも行きたいな~とちょうど思っていたので、ネットで調べてみると・・・・。
毎週ジムチャレを開いているお店を発見!
しかも! 当時ADV環境に入ったというのにレギュは無制限!
前にもこんなお店があったな~と思いつつ、ポケカに慣れてきたすえんくんと出撃。
地下鉄の駅から20分ほど歩いて会場のお店に到着。
お店には優しそうな店員さんがいて、ポケカの大会に出たいというと店内の一角に置かれた対戦スペースへ案内される。
そこではすでにみんなでフリー対戦してたところ。結構人数も多くて盛り上がってたんだけど、このお店で一番印象的だったのは・・・・
大人の人がカードゲームやってること!!www
当時の俺には衝撃的! なんで子供の遊びを大の大人が!?
(今はこんなこと一切思ってませんw)
そんなことを思いつつも大会スタート。
その店舗で始めての対戦は女の子だったような。。
相手のバトル場はグラードンM(マグマ)。技は結構強かったけどPB「パワーセーバー」でベンチに3体のM(マグマ)ポケモンがいないと攻撃できないという縛りがあったので、俺達兄弟の間では弱いの分類だったカード。
ふふふ。さてはこいつあんま強くないなw
しかし、これが間違いだと気付いたのは対戦中盤。
マグマポケモンを4体揃えてすぐに殴ってきたが、倒しても倒してもすぐに次のグラードンMが来る。倒してもサポーター「マツブサ」(?)で復活するし、中途半端にダメージを与えるとハギ老人で手札に戻る。
当時、ハギ老人なんて使えないサポーターwwwって認識だったので、この対戦で使われた時はこいつも衝撃的だった。
結果は言うまでもなく負け。。
そのあとフリーを2戦・・・だけして帰った。時間的にはもう2戦出来たのだが。。
つ、強すぎる! ここの人たち!!
誰と対戦しても、こっちが有利な状況になってもまとわりつく重苦しい空気。
いつ負けるか・・・いや、俺には勝てる可能性があるのか、もしかしたら0%じゃないか?という今までにない重圧。
対戦をするのが怖いという感覚を始めて味わった。
それでも俺はこの人たちに勝ちたい!と思った。負けたくない!と思った。
そしてそこに通い始めたのだった。。
=====================================
・俺のポケカ道② ~知らない世界~
その店舗には高校1年の春まで通い続けた。
勝った回数よりも圧倒的に負けた回数の方が多かったが、そんなのは構わない。勝つか負けるか分からない、あのギリギリの感覚が楽しくなってきたのだ。
まー、何回行っても自分より強い人に話しかけることが怖くて、ものすごいアウェイ感はあったけどw
こういう強い人たちのところに行くと、発見できる新しいことの数々。
当時の俺には衝撃的だったことをいくつか紹介。
1.親子プレイヤー
いや~信じられんかった。だってあれだぜ?
うちじゃ~「カードぉ?そんなのに金掛けて!」「カードなんてする暇あるなら勉強しなさい!」ってのが当たり前だったからさ。
親と子供が一緒の空間で遊ぶなんてことが、通い始めた時は不思議で不思議で。。
んでびっくりなのは一番遅くまで残ってフリー対戦してるのが、親子プレイヤーの方々なんだよ。
「ほら。もう行くヨ!」って言われてそそくさと帰る俺にとっては羨ましいのなんのって。
やっぱ親子の方が多かったからかな~?
そんときちょうど始めたDMの大会とは雰囲気が全然違かったのは当時の俺でも感じることができた。
あんときの俺はこの店舗だけが特殊って思ってたけど、全然そんなことなかったんだよな~。
今思えばこれがポケモンカードのあるべき姿。ポケモンというとっつきやすい存在から親子のコミュニケーションを深める。
今までお会いした親子プレイヤーさんはどれも温かい家族だったと思いますわ。
2.公式大会入賞
この店舗に通い始めて最初のバトルロード。
結果を見てみると、どのリーグもどこかで見たことのあるようなメンツばかり。
話を聞いてみるとその店舗の常連で上位を独占することはよくあることらしい。
・・・お、おれはこんな強い人たちとやってたのか。。
そ、そういえば、お店の方にサインカードがいくつかあったり・・・。
・・・・お、おそろしいorz
3.店員さんが・・・
あの店員さん店長だったんだ。・・・結構後から知りましたw
んでさらに話を聞くと俺が小6の時にいったお店にもいたらしい。これには驚いた!
4.ついでに
忘れられない1戦をピックアップ。
2,3回目に来た時に、トーナメントが終わったらすぐに帰ろうとした俺に店長さんが「フリーしてったら?」と誘いの言葉を。
初めて来た時以来、この店舗には強者しかいないと感じでフリーはあんまりしたくなかった訳で。。
店長さんについていくと、優しそうなお父さんプレイヤーを紹介される。んで、そのまま1戦。
一戦目はこちらの勝利。ちょうどその時ハーフのトーナメントでこの店舗に来て以来、初めて優勝したのだ。このデッキは自信作。負けるわけがない。
二戦目は相手の方がデッキチェンジして対戦。
あっちの場にはヨーギラスδ(炎)が2体。こっちはというとバトル場に1体だけのスタートとなり、引いても種が出てこない。
しかし、相手のお父さんはなぜかベンチのヨーギラスにエネを付けていく。
バンギラスにするつもりか? でもバンギδの最大火力は70。こっちのポケモンは一撃じゃ倒されないぜ!
なんとか進化して相手のバトル場のヨーギラスを倒す。次に出てきたのは炎エネが3つ付いたヨーギラスδ。 さー、進化させるのか? しかし俺の予想に反して相手が使ったカードは・・・・そっくりテレポーター!!
ヨーギラスδをトラッシュして持ってきたのは・・・・ギャラドス☆!!!!
そして技はフィニッシュバーン!!! とりあえず良く分からんダメージで俺のポケモンが気絶!
・・・・そ、そっくりテレポーターだと!?
当時そっくりテレポーターの使い方が全く分からなかった俺にとって衝撃的だった。
よわっち~ヨーギラスがいきなりギャラドス☆になるなんて!
それ以来そのパパさんプレイヤーにはお世話になった。
他の人が強すぎて話せなかったが、唯一その人には話ができたし、ポケカに関していろいろアドバイスをもらった。
箱買いするアドバイスをもらったのもこの人からである。
2007のスプリングを最後に、その人は仕事の関係で関西の方に行ってしまったが・・・。
まー、すえんくんのおかげで行けたWCSファイナルで3年ぶりに再開することができたし。。
あの時はホントお世話になりました。
===============================
こんな感じでこの店舗にはいろいろお世話になった。
トーナメントを意識して戦う今の俺があるのはこの店舗に通った数年間があったからこそである。
話しをかけずらかった人たちとは、今では普通に話せるし、このDNも見てくれているらしい。
たまに、すえんくんとジムチャレにおいで~!とも言われる。
俺が高校1年の時に宮城県内の幸町に移転したあとも店舗の凄腕プレイヤー・・・・後に県内強豪となる「チームサニラン」の方々からポケカのことをいろいろ学んだ。
そこの店長さん・・・・てんちょーも未だにお世話になっている。小6から考えるともう8年の付き合いだ。
この店舗のことを語らなければ親子プレイヤーではない俺のポケカ道は語れないといっても過言ではない。。
この数年間で俺は強くなった。それを実感する瞬間はすぐに来ることとなる。
いざ、戦いの舞台へ・・・・。
実家に帰省して自分を探してた時、なんとなくポケカの原点も考えてみました。
いつも言っているように実家はかなりの田舎で、自転車でいける範囲にポケカを扱っているような店はありません。
初めて大会に出てボコボコにされたのが小4の春で、次に出た大会が2年たった小6の春だったのですが、この間に店舗大会も含め全く大会に出てないんですよ。
周りにポケカ仲間がいない上に2年も大会に行ってないでモチベ保つのって、今じゃ絶対無理だよな~。。
・・・・と思ってた中、押し入れの中で見つけてしまいました。
小学館発行「めざせ!カードマスターへの道」
http://ky1105.diarynote.jp/201003210247532196/
↑内容参考
(そういや~こいつ結構放置してたww)
当時カードプールが全然把握できてなかった自分にとって、この漫画に出てくるカードは全部新鮮でかつ強くてカッコ良くて。
内容だって今のキャンペーンマンガみたく適当にカード出せば良くネ!?って感じじゃなく、本格的なカードバトルマンガとして構成されてて、今でいえば遊戯王を見てる感覚でワクワクしながら読んだのをよく覚えてます(今読んでも結構楽しいw)
このマンガで主人公が使ってたリザバクが異常にカッコよく思えて、必死にリザードンやらバクフーン、育て屋さんやらを集めたのは今じゃいい思い出。
ここ3,4年でポケカを始めた親子プレイヤーの方々。
こいつは他のポケカマンガとは違います。熱いっ!!
古本屋で見つけた時はぜひ手にとって見てくだせぃ!
このマンガがあったからこそ俺は今までポケカを続けられて(周りからは「いい加減やめろ!」って言われる中w)、十何年の中でいろんな人たちと出会うことができたんだな~としみじみ思いました。
・・・・とりあえず何が言いたいかというと、今ポケカではプレイヤーを熱くさせる要素が少なすぎるのでわ?と思いまして。。
この夏だって大きなイベントがなかったのは言うまでもないし、キャンペーンだって「商品買え!」って会社側から言われてるような企画ばっかだし・・・。
WCSがポケカの祭典だっていう人もいるかも知んないけど、あれははっきり言って世界大会に出す選手をふるいにかけてるだけのもの・・・だと俺は思ってる。
バトルロード、この際バトルツアーでもいいのだが。。トーナメントプレイヤーから最近始めたチビッ子、親子の方々までみんなが「ポケカできて楽しい1日だった!」「ポケカ楽しいなー!」って思えるようなことをしないと、人口は増えなくて商品は売れない・・・・ってことを会社側は分かって企画してるのかな?
もしそうでないとしたら昔のバトルロードを思い出してほしい。
いつかまた、参加したみんなが笑顔で帰れた大会ができることを願って・・・。
*第3回ダニエルカップASTRAYの大会詳細の確認・予約はこちらまで↓
http://ky1105.diarynote.jp/201008221040287889/
*第3回ダニエルカップASTRAY PV↓
http://www.youtube.com/watch?v=oAQY9__ughA
いつも言っているように実家はかなりの田舎で、自転車でいける範囲にポケカを扱っているような店はありません。
初めて大会に出てボコボコにされたのが小4の春で、次に出た大会が2年たった小6の春だったのですが、この間に店舗大会も含め全く大会に出てないんですよ。
周りにポケカ仲間がいない上に2年も大会に行ってないでモチベ保つのって、今じゃ絶対無理だよな~。。
・・・・と思ってた中、押し入れの中で見つけてしまいました。
小学館発行「めざせ!カードマスターへの道」
http://ky1105.diarynote.jp/201003210247532196/
↑内容参考
(そういや~こいつ結構放置してたww)
当時カードプールが全然把握できてなかった自分にとって、この漫画に出てくるカードは全部新鮮でかつ強くてカッコ良くて。
内容だって今のキャンペーンマンガみたく適当にカード出せば良くネ!?って感じじゃなく、本格的なカードバトルマンガとして構成されてて、今でいえば遊戯王を見てる感覚でワクワクしながら読んだのをよく覚えてます(今読んでも結構楽しいw)
このマンガで主人公が使ってたリザバクが異常にカッコよく思えて、必死にリザードンやらバクフーン、育て屋さんやらを集めたのは今じゃいい思い出。
ここ3,4年でポケカを始めた親子プレイヤーの方々。
こいつは他のポケカマンガとは違います。熱いっ!!
古本屋で見つけた時はぜひ手にとって見てくだせぃ!
このマンガがあったからこそ俺は今までポケカを続けられて(周りからは「いい加減やめろ!」って言われる中w)、十何年の中でいろんな人たちと出会うことができたんだな~としみじみ思いました。
・・・・とりあえず何が言いたいかというと、今ポケカではプレイヤーを熱くさせる要素が少なすぎるのでわ?と思いまして。。
この夏だって大きなイベントがなかったのは言うまでもないし、キャンペーンだって「商品買え!」って会社側から言われてるような企画ばっかだし・・・。
WCSがポケカの祭典だっていう人もいるかも知んないけど、あれははっきり言って世界大会に出す選手をふるいにかけてるだけのもの・・・だと俺は思ってる。
バトルロード、この際バトルツアーでもいいのだが。。トーナメントプレイヤーから最近始めたチビッ子、親子の方々までみんなが「ポケカできて楽しい1日だった!」「ポケカ楽しいなー!」って思えるようなことをしないと、人口は増えなくて商品は売れない・・・・ってことを会社側は分かって企画してるのかな?
もしそうでないとしたら昔のバトルロードを思い出してほしい。
いつかまた、参加したみんなが笑顔で帰れた大会ができることを願って・・・。
*第3回ダニエルカップASTRAYの大会詳細の確認・予約はこちらまで↓
http://ky1105.diarynote.jp/201008221040287889/
*第3回ダニエルカップASTRAY PV↓
http://www.youtube.com/watch?v=oAQY9__ughA
勝手にキリバン企画① のわーるの軌跡 その2
2010年3月20日 のわーるの軌跡 コメント (7)まさかこんな自分史に興味を持ってもらえるなんて・・・・。
たまにしかやらないと思うけど、最後までやってみようかしら?
ということで、第二回目。
リベンジを誓った少年はどのような道を歩むのか!?
=====================================
3、原点
トロピカルメガバトルが終わったあと。
兄貴が1冊のマンガを買ってきた。
マンガのタイトルは・・・・「めざせ!カードマスターへの道」
おそらくこれが自分にとってのポケカの原点と言えよう。
前にもここで書いたと思うが、当時の自分にとってそのマンガの内容は印象強いものであったのは間違いない。
リザードンと共にカッコよく戦う 健太
見たことのないカードを華麗に操る 翔
プクリンやカメックスなど、当時のトップメタの存在を知ったのもこの本からである。
知らないカードが活躍してたこともあったが、なによりポケモンカードがこんなにおもしろいカードゲームだ! ということを健太たちがバトルから伝わって来たのだ。
自分もこんな風に戦ってみたい・・・・
劇中最後の戦いで主人公健太が使っていた「リザードンバクフーン」
見事な逆転勝ちでライバル翔を倒したデッキ
そして、その本には劇中で使われていたデッキのレシピもあった
これを作って健太みたいに勝ちたい・・・!
それから2年。
公式大会の少ないチャンスでいろんな人からトレードしてもらい、ついにそのデッキは完成した。
レシピ通りのカードは数えるほどしか入っていない。
それでも自分にとって初めて作った「デッキ」。。
(ちなみにこのデッキは、今でも実家に残っている)
そして新たなるバトルフィールドに降り立つ・・・・
=====================================
4、新領域!
小学6年生の春。
公式大会で初めての公式リーグに参加。
結果は・・・・まー 言うまでもないが予選落ち。
(使用デッキはデンリュウランターン【水】だったかな?)
そして、この大会で偶然にも「店舗大会」の存在を知ることとなる。
当時の情報源はコロコロだけであったため、公式大会しか知ることができなかったの。
帰ってすぐにサイトをチェック。あっ ポケカの公式サイトを知ったのもこの時。
電話線クオリティのPCが止まらないことを祈りながら情夫を探してみると・・・・
なんと。隣町のよく行くショッピングモールで月2回大会が開催されていることが判明!
その週末、さっそく行ってみると中学生くらいのお兄さんたちが15名ほどで大会の真っ最中。。
自分はというと大会へは参加せず、見ていただけ。
実はちょうどファーストジェネーレーションからニュージェネレーションへの変換期だったため、旧裏面が使えない店舗が増えてきていたのだ。
その時小学生だった自分にはeシリーズだけでデッキを作れるほどの資産はなく、大会後にフリーをしに来たのだ。
ちょうどeシリーズ第2段が出たころだろうか?
サンダーのPB「アンチサンダー」を華麗に使いこなすお兄さんもいれば、ワザマシンを絶妙なタイミングで使い勝利するなど、自分では考えられないデッキをたくさんの人が使っていた。
このあと予定通り、大会終了後にお兄さんたちとフリー対戦をすることに。。
使用デッキは・・・・約2年間かけて集めたカードの集合体。
そう! バクフーンリザードンである!!
兄弟以外では対戦するのは初めてだったのだが、3戦して・・・・
見事に全勝!!!
まー 相手のお兄さんたちがガチのスタンを持ってなかったってだけだけど、自分としては大満足。
これは楽しい。
知らない人とも対戦できて、勝てば賞品がもらえる。
このあとの大会からはレギュにあったデッキを持参し、大会に参加。
優勝することなんて少なかったが、対戦ができ、強い人同士の対戦を見てるいだけでも楽しかった。
後に店長とも仲良くなり、この店舗さんには小6から中2,3までの約3年間お世話になることとなる。
また、この店舗では二人の先生がいたことでも印象に残っている。
一人は自称ハチマキさん。
公式大会のたびに鉢巻をまいて予選リーグに参加していた。
その店舗の中でも特に明るく、場を盛り上げていた頼れる兄さんだった。
もう一人はYべーさん。
ハッキリ言ってハンサムw カードゲームなんて縁がないってくらいハンサムだった。
カード捌きも抜群で、とにかくカッコイイお兄さんだった。
実は高校時代もたまに通っていたのだが、毎回参加者が俺一人という悲惨な事態が続いたため、結局は全く来なくなってしまった。
しかし、石川に来る直前のチャレ広でカッコイイお父さんとの接戦の末、この人はどこかの店舗の常連だ!と思い、よく行くジムチャレを聞いたところ・・・・なんと、俺が行かなくなった店舗の常連さんだった。
さらに、他にも常連さんがいて毎回賑わってるとのこと。。
帰省の時期にあったら久しぶりに覗いてみたいものだ。
そして、このころ行ったもう1件の店舗さん。
なんと毎週毎週、ポケモンカードの大会をしている店舗さんだったのだ!
当時の俺にとってみれば、対戦者がいない田舎出身なので毎月大会があるだけでも驚いたのに、毎週には衝撃的だった。
しかも! 世はジェネレーション・チェンジを完了しようとしているときに、レギュが制限なしときたら、こりゃ~俺の相棒バクフリザで行くしかないではないかwww
大会当日。
店内に入ってみると自分と同世代の子たちで賑わっていた。
店舗大会でこんなに来るのか。。でもスペース足りるのかな?
店員さんに大会の場所を確認すると・・・・
「あ~ ポケモンカードなら外に出て左だよ」
んん! 外?!
言われた通りに行ってみると、本当にいた! いや~たくさんいた!!
青空の下で、果物ボックスにシートを敷いた対戦テーブルではすでにフリー対戦が始まっていた。
とりあえずこの店舗の一番印象を受けたのは、参加人数である。
分かりやすく言うと・・・・そう! DMの店舗大会と同じくらいの人数!!www
今でいうDMと同じ感じの大会風景を想像してもらえればいい。
ポケカにもこんな時代があったのですよ! 奥さん!!
このことを知り合いの人と話すと「ポケカにもそんないい時代があったんだな~」となるww
この日はフリー対戦を含めてかなりバトルした。
大会では結構いいところまで行った記憶があるが、悪エネ4枚ついたニューラにボコボコにされたところで記憶が途切れている。。。
トレードもたくさんした。欲しいものはほとんど手に入ったんじゃなかったかな?
大会の最後に近くでタバコを吸っていた店員さんらしき人に参加賞をもらいに行く。
帰り際に「またきてね~!」と優しい声で言われたのが印象的だった。。
(覚えられる人はこの店員さんを覚えていて欲しい)
実はこの店にはこの1回しか来ていない。
理由としては最初に行った店舗の方が家から近いとのことであった。
しばらく最初の店舗の大会に行ってみると、2番目に行った店舗の大会は無くなってしまっていた。
正直言って、全然大会に行かなかったので自分にとってどうでもいい話ではあった。
しかし、このどうでもいい話がこれからのポケカ人生に大きく関わり、これまでの物語が序章に過ぎなかったということは、このころの少年は知る由もなかった。。
そして少年は、また新たなる領域に足を踏み入れるのであった。。。
たまにしかやらないと思うけど、最後までやってみようかしら?
ということで、第二回目。
リベンジを誓った少年はどのような道を歩むのか!?
=====================================
3、原点
トロピカルメガバトルが終わったあと。
兄貴が1冊のマンガを買ってきた。
マンガのタイトルは・・・・「めざせ!カードマスターへの道」
おそらくこれが自分にとってのポケカの原点と言えよう。
前にもここで書いたと思うが、当時の自分にとってそのマンガの内容は印象強いものであったのは間違いない。
リザードンと共にカッコよく戦う 健太
見たことのないカードを華麗に操る 翔
プクリンやカメックスなど、当時のトップメタの存在を知ったのもこの本からである。
知らないカードが活躍してたこともあったが、なによりポケモンカードがこんなにおもしろいカードゲームだ! ということを健太たちがバトルから伝わって来たのだ。
自分もこんな風に戦ってみたい・・・・
劇中最後の戦いで主人公健太が使っていた「リザードンバクフーン」
見事な逆転勝ちでライバル翔を倒したデッキ
そして、その本には劇中で使われていたデッキのレシピもあった
これを作って健太みたいに勝ちたい・・・!
それから2年。
公式大会の少ないチャンスでいろんな人からトレードしてもらい、ついにそのデッキは完成した。
レシピ通りのカードは数えるほどしか入っていない。
それでも自分にとって初めて作った「デッキ」。。
(ちなみにこのデッキは、今でも実家に残っている)
そして新たなるバトルフィールドに降り立つ・・・・
=====================================
4、新領域!
小学6年生の春。
公式大会で初めての公式リーグに参加。
結果は・・・・まー 言うまでもないが予選落ち。
(使用デッキはデンリュウランターン【水】だったかな?)
そして、この大会で偶然にも「店舗大会」の存在を知ることとなる。
当時の情報源はコロコロだけであったため、公式大会しか知ることができなかったの。
帰ってすぐにサイトをチェック。あっ ポケカの公式サイトを知ったのもこの時。
電話線クオリティのPCが止まらないことを祈りながら情夫を探してみると・・・・
なんと。隣町のよく行くショッピングモールで月2回大会が開催されていることが判明!
その週末、さっそく行ってみると中学生くらいのお兄さんたちが15名ほどで大会の真っ最中。。
自分はというと大会へは参加せず、見ていただけ。
実はちょうどファーストジェネーレーションからニュージェネレーションへの変換期だったため、旧裏面が使えない店舗が増えてきていたのだ。
その時小学生だった自分にはeシリーズだけでデッキを作れるほどの資産はなく、大会後にフリーをしに来たのだ。
ちょうどeシリーズ第2段が出たころだろうか?
サンダーのPB「アンチサンダー」を華麗に使いこなすお兄さんもいれば、ワザマシンを絶妙なタイミングで使い勝利するなど、自分では考えられないデッキをたくさんの人が使っていた。
このあと予定通り、大会終了後にお兄さんたちとフリー対戦をすることに。。
使用デッキは・・・・約2年間かけて集めたカードの集合体。
そう! バクフーンリザードンである!!
兄弟以外では対戦するのは初めてだったのだが、3戦して・・・・
見事に全勝!!!
まー 相手のお兄さんたちがガチのスタンを持ってなかったってだけだけど、自分としては大満足。
これは楽しい。
知らない人とも対戦できて、勝てば賞品がもらえる。
このあとの大会からはレギュにあったデッキを持参し、大会に参加。
優勝することなんて少なかったが、対戦ができ、強い人同士の対戦を見てるいだけでも楽しかった。
後に店長とも仲良くなり、この店舗さんには小6から中2,3までの約3年間お世話になることとなる。
また、この店舗では二人の先生がいたことでも印象に残っている。
一人は自称ハチマキさん。
公式大会のたびに鉢巻をまいて予選リーグに参加していた。
その店舗の中でも特に明るく、場を盛り上げていた頼れる兄さんだった。
もう一人はYべーさん。
ハッキリ言ってハンサムw カードゲームなんて縁がないってくらいハンサムだった。
カード捌きも抜群で、とにかくカッコイイお兄さんだった。
実は高校時代もたまに通っていたのだが、毎回参加者が俺一人という悲惨な事態が続いたため、結局は全く来なくなってしまった。
しかし、石川に来る直前のチャレ広でカッコイイお父さんとの接戦の末、この人はどこかの店舗の常連だ!と思い、よく行くジムチャレを聞いたところ・・・・なんと、俺が行かなくなった店舗の常連さんだった。
さらに、他にも常連さんがいて毎回賑わってるとのこと。。
帰省の時期にあったら久しぶりに覗いてみたいものだ。
そして、このころ行ったもう1件の店舗さん。
なんと毎週毎週、ポケモンカードの大会をしている店舗さんだったのだ!
当時の俺にとってみれば、対戦者がいない田舎出身なので毎月大会があるだけでも驚いたのに、毎週には衝撃的だった。
しかも! 世はジェネレーション・チェンジを完了しようとしているときに、レギュが制限なしときたら、こりゃ~俺の相棒バクフリザで行くしかないではないかwww
大会当日。
店内に入ってみると自分と同世代の子たちで賑わっていた。
店舗大会でこんなに来るのか。。でもスペース足りるのかな?
店員さんに大会の場所を確認すると・・・・
「あ~ ポケモンカードなら外に出て左だよ」
んん! 外?!
言われた通りに行ってみると、本当にいた! いや~たくさんいた!!
青空の下で、果物ボックスにシートを敷いた対戦テーブルではすでにフリー対戦が始まっていた。
とりあえずこの店舗の一番印象を受けたのは、参加人数である。
分かりやすく言うと・・・・そう! DMの店舗大会と同じくらいの人数!!www
今でいうDMと同じ感じの大会風景を想像してもらえればいい。
ポケカにもこんな時代があったのですよ! 奥さん!!
このことを知り合いの人と話すと「ポケカにもそんないい時代があったんだな~」となるww
この日はフリー対戦を含めてかなりバトルした。
大会では結構いいところまで行った記憶があるが、悪エネ4枚ついたニューラにボコボコにされたところで記憶が途切れている。。。
トレードもたくさんした。欲しいものはほとんど手に入ったんじゃなかったかな?
大会の最後に近くでタバコを吸っていた店員さんらしき人に参加賞をもらいに行く。
帰り際に「またきてね~!」と優しい声で言われたのが印象的だった。。
(覚えられる人はこの店員さんを覚えていて欲しい)
実はこの店にはこの1回しか来ていない。
理由としては最初に行った店舗の方が家から近いとのことであった。
しばらく最初の店舗の大会に行ってみると、2番目に行った店舗の大会は無くなってしまっていた。
正直言って、全然大会に行かなかったので自分にとってどうでもいい話ではあった。
しかし、このどうでもいい話がこれからのポケカ人生に大きく関わり、これまでの物語が序章に過ぎなかったということは、このころの少年は知る由もなかった。。
そして少年は、また新たなる領域に足を踏み入れるのであった。。。
勝手にキリバン企画①のわーるの軌跡
2010年3月12日 のわーるの軌跡 コメント (4)おいおい。キリバン取った人誰だ~い?
名乗り出てくんないとキリバン企画できないじゃないか。
・・・・ハッ! 俺の方が企画の告知してなかったのか!
何ということだよ。オイ。
そういう訳で、キリバン取った人にテーマを選んでもらおうと思ってたんだけど、企画告知を主が忘れちゃってたっていう理由で勝手にキリバン企画をやっちゃおー・・・・というお話。。
じゃー 勝手に始めちゃいましょうw
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「なー、ポケモンカードやってみないか?」
それは兄の一言により10年以上続く物語の始まりである。
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1、はじまり
時はポケモンという一大ブームの真っただ中。
小学生の間では四六時中ポケモンの話題が絶えなかったことであろう。
しかし、当時3年生であった自分は兄貴の口から「ポケモン」と聞いて、あまりいい気にはなれなかった。
オレ「え、でもポケモンは・・・・」
兄貴「だからカードだって。今度の夏に買ってもらおうぜ」
とりあえずカードゲームというものをしたことがない自分にとって興味があったのは事実である。
兄貴の友達が遊戯王(裏面が違う奴・初代?)をやっていたのを見たことがあるが、あんな感じなのだろうか?
その年の夏休み。
兄貴と父さんと3人でおもちゃ屋に行き、スターターパックを買う。
自分のポケカ歴において最初に買ったスタタは「ナツメデッキ」。
兄貴は「タケシデッキ」を買ったが、お互いにこのジムリーダーが好きというわけではなかった。はっきり言って「なんとなく」である。
それからは、二人でルールブックを片手にポケモンカードで対戦する日々が続いた。
でも、まー 自分はまだ小学3年生だったわけで、ルールブックなんか読んでも訳がわかんないわけよ。。
そうなると兄貴に頼るわけなのだが、ヤツの教育は厳しかった。。
オレ「ナツメのゴースに超エネルギーをつけて、ワザまとわりつく。タケシのイシツブテに20ダメージだ!」
兄貴「おいおい。。まとわりつくはエネルギーが2つ必要だろ?」
オレ「あっ そっか。じゃあもう1枚超エネルギーをつけて・・・・」
兄貴「だ・か・らっ! 1ターンにエネルギーは1枚しかつけられないって言ってるだろ!!」
・・・当時のことを兄貴に聞いてみると「ハッ? そんなスパルタした覚えねぇしw」とのこと。
でも、当時小学3年の自分にはそう見えてたのだろう。。
それからも兄貴のスパルタ教育は続くが、その甲斐あってルールは大体マスター。
ルールさえわかればこっちのもの。
当時、ゴーストポケモンの抵抗力は闘であったため、タケシデッキではナツメのゲンガーを突破できない。
対戦すれば自分が連勝! 勉強でもゲームの腕でも兄貴に勝てなかった自分にとって、ポケカは唯一兄貴に勝てるものとなり。。
自分の中ではポケカの存在が貴重なものへとなっていった。
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2、ハワイへ!
ポケカを始めて早1年。
ネオシリーズが始動し他の拡張パックも買うようになって、一人のポケカプレイヤーとして成長していった。
そのころ、兄貴が父さんにコロコロを買ってもらうようになってポケカの情報も入手できるようになっていた。
そしてある時、コロコロ内に見開き1ページにわたって公式大会の宣伝がなされていた。
(この時はコロコロもポケカを押してたのよ。今となっちゃ~ そんな気配はないけどねっ!!)
へー ポケカの大会があるのかー。兄貴以外の人とも戦うことができるじゃん。。
大会の存在を知ったのはそれが初めて。
「兄貴以外の人と戦える」ってだけで参加する価値があったのだが・・・
「上位入賞者はハワイでの日米交流戦に無料でご招待!」
これに魅かれたも同然であるwww
無料でハワイに行けるとかすげーじゃんww
まー 上位しか行けなという突っ込みはさておき、公式大会への参加を決心したのがこの時であった!
・・・・・・
大会当日
待ちに待った初公式大会「トロピカルメガバトル」の開催だ!
会場に行くと・・・・オワッ! 今とは考えられんくらいの人の列!!
こ、これが全員ポケカプレイヤーなのか!?当時の自分には衝撃的な光景であった。
会場いっぱいに置かれた対戦テーブル。
そこでの対戦を待つプレイヤーの列。
そして会場に入りきらない列が会場を出て、階段まで延びていたのは今でも覚えている。
最後尾にはネズミーランドのように看板を持ったスタッフがいて「待ち時間30分」と書かれた看板を持っていた。
対戦したくてしたくてウズウズしていたが・・・・
とりあえず30分待つ。。。
30分後
やれやれ、ようやく対戦テーブルにつくことができた。
これが公式大会の記念すべき初戦である。
初戦の相手はメガネをかけた女の子。
ふーん、女の子もやってるのか。まっ! どーせ女子なんて楽勝でしょwww
こちらの使用デッキはネオシリーズを主軸とした水と雷デッキ。
お互い準備を完了して・・・・
対戦スタート!!
こっちのバトル場 HP40の雷ポケモン
んん! 相手のバトル場は見たことないカードだな。エビワラーか。。
・・・・どうせ女子が使うんだから大したことないだろwww
相手先行。闘エネ貼って小さな声でワザを宣言。
闘 ジャブ 20
こちら闘弱点のHP40 20×2=40
・・・・・・
1ターン目で気絶したぁああああああああああああああwwww
く、くそ~! 弱点かよ!・・・ってか1エネ20Dってずるくね?!
あ、相手は女の子だぞ。ま、負けるわけにはいかない。。。
こちら水ポケモンをバトル場へ。
1ターン殴り合って、相手の3ターン目。
闘エネ3つ付いて2つ目のワザを宣言。
闘闘無 スペシャルパンチ 40
合計60Dでこちらきぜつ。。
・・・・・
40Dとか 高けぇええええええええええええええええwwww
ちょwwwそんなやつ倒せねぇよ orz
PB「負けず嫌い」で最後まで頑張ってみるが・・・
結局エビワラー1体で6体倒される。
これがポケカの公式デビューの対戦結果であった。。。
その後も並び直し対戦を続けるが、終わってみれば5戦1勝4敗であった。
ちなみに唯一の1勝はこちらサイドを2枚とって、相手の種切れであった。
余談ではあるが、この対戦で初めて「場にポケモンがいなくなったプレイヤーは負け」というルールを知ったのである。
大会が終わって家へ帰ってみると・・・・悔しい気持ちでいっぱいであった。
自分の知らないカードでボコボコにされ、じぶんの好きなカードで勝つことが全くできなかった。
初めて兄貴に勝てたものでボコボコにされたのが、自分のプライドをズタズタにされた感じだった。
・・・・今度は絶対に負けたくない!
こうして一人の少年はポケモンカードというものにハマりだしたのである。
続けるかどうか分からんけど つづく